
6月と12月に賞与を支給しているSaaS企業が、固定的な賞与を廃止し、12月決算後の決算賞与へ一本化するとします。会社は業績に応じて人件費を調整しやすくなりますが、社員から見れば、毎年受け取ってきた収入が不確かな報酬へ変わります。税務上も、決算後に金額を決めれば12月期の費用になるとは限りません。制度設計、就業規則、支給時期を一体で考える必要があります。
決算賞与は、単に定期賞与の支給月を移す制度ではありません。会社業績と個人評価をどのように金額へ反映するのか、赤字や資金不足なら支給しないのかを、社員が事前に理解できる形へ落とし込む仕組みです。経営者が最後に金額を決めるだけでは、報酬制度として機能しにくくなります。
定期賞与を決算賞与へ一本化する経営上の理由
SaaS企業は売上が継続的に積み上がる一方、採用費、広告費、クラウド利用料を先行して支払うことがあります。6月と12月に固定的な賞与を支給すると、解約率の上昇や大型案件の失注が判明しても、短期的には予定どおり資金が流出します。決算賞与へ一本化すれば、通期の売上だけでなく、営業利益や手元資金を確認してから支給額を判断できます。赤字期に借入金で賞与を支払う状況も避けやすくなるでしょう。
たとえば12月決算の会社で、年間の定期賞与総額が3,000万円だったとします。新制度では調整後営業利益の一定割合を賞与原資とし、期末時点で運転資金を6カ月分確保できない場合は原資を減らす、といった条件を置けます。売上が伸びたかどうかではなく、賞与を支払った後にも事業を継続できるかで総額を決める考え方です。急成長中でも入金が遅れている会社なら、利益と現預金の両方を見る必要があります。
一方、賞与を変動費にすれば経営リスクが消えるわけではありません。社員は定期賞与を年収の一部として住宅ローンや教育費に充てていることがあり、廃止後の基本給が変わらなければ実質的な年収減と受け取ります。採用市場でも「年収600万円、うち業績連動賞与100万円」と表示する場合、100万円が支給される条件を説明できなければ、候補者は固定年収500万円の会社として比較します。人件費の柔軟性と引き換えに、採用競争力や定着率が下がる可能性を見込んでおかなければなりません。
決算賞与の利点は、全社員の行動を通期目標へそろえやすいことです。ただし、経営者だけが知る利益額を基準にすると、社員は日々の仕事と賞与のつながりを感じられません。営業なら新規ARRだけでなく回収状況、カスタマーサクセスなら解約率、開発部門なら重大障害やリリース品質など、職種ごとに動かせる指標を組み込むほうが納得を得やすくなります。
12月期の損金にするには支給決定の時期が問われる
使用人へ支払う賞与は、原則として実際に支給した事業年度の損金になります。12月31日までに支給すれば通常はその12月期に処理できますが、決算確定後の翌年2月に金額を決め、3月に支給するなら、原則として翌事業年度の損金です。「12月期の業績を基準にした賞与」という名称だけで、前年12月期へさかのぼることはできません。詳しい取扱いは国税庁の使用人賞与の損金算入時期で確認できます。
未払計上した決算賞与を12月期の損金にする方法もありますが、条件は厳格です。一般には、事業年度終了日までに各社員へ支給額を通知し、通知した全員へ終了日の翌日から1カ月以内に通知額を支払い、その金額を当期の損金として経理する必要があります。12月31日決算なら、同日までに社員別の金額を通知し、原則として翌年1月31日までに支給できる体制が必要です。通知後に業績評価をやり直して金額を変更したり、一部の社員への支払いを遅らせたりすると、損金算入時期に影響するため税理士との事前確認が欠かせません。
この扱いを選ぶ会社は、決算確定を待ってから評価を始めることができません。たとえば11月末までの実績と12月の着地見込みを使って原資を計算し、12月中に個人評価と通知を終える必要があります。売上計上の判断や解約見込みが年末まで固まらないSaaS企業では、税務上の早期損金算入よりも、翌年2月に正確な決算数値で決定し、翌期の損金として支払うほうが運用しやすい場合もあります。損金算入が1期遅れることと、誤った見積もりで過大な賞与を約束することを比較して決めるべきです。
社員へ支給する決算賞与は、所得税の源泉徴収や社会保険の対象になります。定期賞与を決算賞与へ変更しただけで、会社と社員の社会保険料が一律に減るわけではありません。賞与を支給したときは、日本年金機構への賞与支払届など、通常の賞与と同様の事務が発生します。賞与額の上限や保険料計算は制度改定の影響を受けるため、支給時点の取扱いを日本年金機構で確認してください[要確認]。
なお、代表取締役や取締役へ支払う役員賞与は、社員への決算賞与と同じ処理にはなりません。役員給与を法人税上の損金にするには、定期同額給与、事前確定届出給与、一定の業績連動給与などの要件へ該当させる必要があります。オーナー社長が決算後に利益を見て自分の賞与を決めても、通常は損金になりません。役員を対象へ含める場合は、国税庁の役員に対する給与を参照し、社員分とは分けて設計します。
既存社員の定期賞与は一方的に消せない
雇用契約書や就業規則に「6月と12月に基本給の各2カ月分を支給する」と明記している場合、その賞与は会社が自由に廃止できる報奨金とは異なります。支給時期や算定方法が具体的で、これまで継続して支払ってきた実績があれば、社員が賃金として請求できる可能性があります。「会社業績により支給しないことがある」と書いていても、具体的な運用や説明内容まで含めて判断されます。
定期賞与の廃止は、社員にとって労働条件の不利益変更になり得ます。労働契約法では、合意のない不利益変更を原則として認めず、就業規則を変更する場合にも変更の合理性と周知が求められます。過去の賞与を当然にゼロへ置き換えるのではなく、年収への影響、変更の必要性、新制度の算定方法を示して合意形成を進める必要があります。法的な判断は契約文言や従来の運用で変わるため、実施前に社会保険労務士や弁護士へ確認してください。
たとえば、従来は基本給30万円に年間4カ月分の賞与を支給していた社員なら、想定年収は480万円です。翌年から基本給を据え置き、決算賞与を0円から120万円の範囲にすると、会社が年収360万円まで引き下げられる制度へ変わります。社員の不安を抑えるには、基本給の増額、初年度の最低保証、数年間の段階移行などを検討できます。初年度は従来賞与の70%を保証し、2年目から完全連動へ移す方法なら、社員が家計と働き方を調整する時間を確保できます。
支給日在籍要件も明文化しておきたい項目です。12月まで働いて目標を達成した社員が、翌年1月に退職したため決算賞与を一切受け取れないとなれば、不満や紛争につながります。評価対象期間、休職者や中途入社者の按分、退職予定者の扱い、懲戒処分時の減額条件まで事前に定めてください。経営者の裁量を残しすぎると、同じ成果でも社員によって金額が異なる制度になり、評価への信頼を失います。
年1回の報酬を日々の行動へ結び付ける
年1回の決算賞与は、支給までの間隔が長いため、短期的なモチベーションを保ちにくい制度です。1月に立てた目標の結果が翌年2月や3月まで金額にならなければ、社員は努力と報酬の関係を感じにくくなります。とくに開発やカスタマーサポートは売上を直接計上しないため、全社利益だけで評価すると営業部門を支援する役割が見えません。四半期ごとに進捗と見込額を共有し、期末だけ突然評価しない運用が必要です。
あるSaaS企業なら、賞与原資を調整後営業利益から算出し、そのうえで全社評価、部門評価、個人評価へ分けられます。全社評価にはARR成長率と営業キャッシュフロー、開発部門には重大障害の抑制と計画した機能の提供、カスタマーサクセスには解約率と利用定着率を置く形です。社員が自分の仕事で変えられる指標を少数に絞り、計算例とともに期首に公開すると、決算賞与が経営者の気分で決まる報酬ではなくなります。指標を増やしすぎると計算は精密でも行動が散るため、各部門で二つか三つに絞るほうが運用しやすくなります。
12月決算の会社では、制度変更の検討を年末まで先送りできません。上期に報酬水準と離職リスクを試算し、夏から秋にかけて社員説明と就業規則の変更を進め、10月頃には評価指標と賞与原資の計算方法を固めます。当期の未払賞与として損金算入するなら12月中に個人別金額を確定して通知し、そこまで確定できないなら翌期支給として決算後に評価します。税務上の処理に合わせて人事評価を無理に早めるのではなく、会社が正確に約束できる日を支給設計の起点にします。
導入後は、賞与総額だけで成功を判断しないほうが安全です。固定賞与を減らして人件費率が下がっても、退職者が増え、採用単価や引き継ぎ工数が膨らめば会社全体の負担は増えます。支給後には離職率、採用応募数、従業員サーベイ、目標達成率を確認し、算定式や最低保証を次年度に調整してください。決算賞与への一本化は、会社の都合で賞与を削る施策ではなく、業績と報酬のつながりを社員へ説明できる会社だけが継続できる制度です。